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名古屋地方裁判所豊橋支部 昭和50年(タ)9号 判決 1975年10月31日

原告

山川一郎(仮名)

昭和一九年一二月一三日生

右訴訟代理人

富岡健一

外一名

被告

山川花子(仮名)

昭和二一年九月四日生

主文

原告と被告とを離婚する。

原告と被告間の長男太郎(昭和四六年三月五日生)の親権者を原告と定める。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

一、原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、請求の原因として次のとおり述べた。

(一)  原告は被告と昭和四五年三月二六日結婚式を挙げ、同月二六日婚姻届をした夫婦であり、同四六年三月五日長男太郎が出生した。

(二)  被告は昭和四七年三月頃から「ものみの塔」に入信し、その信者の集会に出席したり、伝道に歩くようになつた。

そして原告に対して右宗教への入信をすゝめたので、原告も妻である被告の言うことを理解する必要もあろうと考えてパンフレットを読んだり、右宗教の指導者から説明を受けたりしたが、その教義を理解することができず、またこれに賛同することもできなかつた。

(三)  被告はその後も一層熱心に集会に出席し、伝道に精を出すようになり、そのため育児や家事をおろそかにするようになつたので、原告との夫婦仲は急速に悪化していつた。

原告は何とか被告に対し、集会出席の回数を減らすよう言葉をつくして懇請し、あるいは被告の母や実兄からも説得してもらつたが、被告はこれに応じないで逆に母親にも入信を強くすゝめる始末であつた。

(四)  そこで原告は被告が集会に出席したり、伝道活動をする時間を少しでもなくしようとして被告に働きに出ることをすゝめたところ、被告は豊橋市内の「まわりもち」なる屋号の店にパートとして勤務するようになつた。

しかし右の「まわりもち」は「ものみの塔」の信者が経営している店であり、被告は勤務と称してますます自由に伝道活動にはげむようになり、現在では次のように毎週五日間きまつた時間に集会、伝道活動のため家をあけるようになつたのである。

火曜日 午後七時―午後九時

水曜日 午前九時―午後一時

木曜日 午後六時―午後一〇時

土曜日 午前九時―午後一時

日曜日 午前九時―午後二時

(五)  「ものみの塔」においては教会はなく集会場があり、信者は集会に出るとともに一般家庭を訪問してパンフレット「ものみの塔」を売りながら伝道をするのである。

そして被告は右に述べた日時にはどのような事情があつても必らず集会伝道活動に従事し家庭内の育児その他の仕事はその間全くしないのである。

また被告は最初の頃は幼い太郎を同行して伝道に行つていたので、原告は被告の行為によつて太郎の心身に悪影響が生ずることを心配して太郎の身のまわりの世話を原告と原告の母が引受け、子供を伝道に同行することを禁じたのである。また太郎も物心がつくに従い、被告に対し「集会に行かないでほしい」と頼むようになつたが、被告は全くこれに耳をかさず、相かわらず集会場通いを続けており、これでは母親による正常な育児、家庭教育は不可能である。

(六)  また被告は金銭を手にするとこれを右宗教団体に寄付してしまうので、原告はその収入を自ら管理している。

そして昭和四九年四月に豊橋市南栄町から下地町へ引越した後も、定期的に集会伝道を続け、家人が寝静つてから深夜に帰宅したり、場合によつては外泊することすらありその宗教活動は異常というほかない。

そして被告はその信ずる宗教をすべてに優先させ、夫や子供の幸福は全く度外視して顧みないため、原告との夫婦生活は完全に破綻しているのである。

(七)  原告と被告は結婚した当時は被告は「ものみの塔」に入信しておらず、夫婦関係も円満であつた。しかし被告は原告の不知の間に「みのもの塔」に入信し、夫である原告の意思を無視し、家庭生活を犠牲にして右の宗教の集会、布教活動に専念したゝめ本件婚姻を破綻させるに至つたのである。

もとより被告が個人として信教の自由を有することは当然であるが、原告に対して自己の宗教を押しつけたり、その宗教活動を夫婦共同生活に優先させ、そのため家庭生活の重要な部分を放棄することは妻として到底許されない行為である。

そして右の被告の行為は悪意の遺棄に該当するものというべく、また婚姻を継続しがたい重大な事由に該当するものである。

(八)  次に原告と被告が離婚した場合には、被告が右のように「ものみの塔」の信者であるかぎり、原被告間の子太郎を正常に育てて行くことは到底不可能であり、右太郎の親権者は原告とするのが相当である。

(九)  よつて原告は被告に対し離婚を求め、長男太郎の親権者を原告と定める旨の判決を求める。

二、被告は「原告の請求を棄却する。」との判決を求め、「請求の原因(一)ないし(四)の事実は認めるが、その余の事実は争う。」と述べた。

三、立証<略>

理由

<証拠>によると原告と被告は昭和四五年三月二六日に婚姻届をした夫婦であること、昭和四六年三月五日に原被告間に長男太郎が出生したこと、以上の事実が認められる。

<証拠>によると次の事実が認められる。

原告と被告は昭和四五年三月頃東京の長野計器株式会社に勤務していた時に知り合い、恋愛のうえ結婚した。その後前記のように昭和四六年三月五日に長男太郎が出生し、夫婦仲は円満に推移していた。

そして昭和四六年九月頃原告は右会社を退職し、原告の父が経営している豊橋市の中部計量器株式会社に入社し、原告と被告は豊橋市南栄町に居住し、同年一〇月から同四七年五月までの原告は計量器技術者の資格を取得するため、単身で東京の計量器教習所に入所した。その間に被告は「ものみの塔」の伝道者のすゝめにより、「ものみの塔」に入信するようになつた。原告は被告にすゝめられて「ものみの塔」を理解しようと努めたが、その教義を理解することができなかつた。そして原告や原告の父山川一夫、被告の母伊藤ミチらが被告に対して「ものみの塔」を脱会するよう説得したが被告の信仰は固く、被告は信仰を捨てず、積極的「ものみの塔」の集会に参加し、伝道活動をするようになり、現在では請求の原因(四)に記載したように、伝道活道をしているのである。そのため被告は家庭の主婦として重要な勤めである家事や育児をおそろかにするようになり、原告は、右の被告の宗教活動に対して被告と同居するにたえがたい精神的な苦痛を感じている。

以上の事実が認められ他に右認定を左右するに足る証拠はない。

もとより当裁判所は信教の自由を否定するものではない。そして右の自由は宗教活動の自由が含まれるものであることは当然である。

しかし被告は右に認定したように自己の宗教活動を原告の妻としての同居協力義務や、太郎の母としての監護養育義務に優先させているのである。そして原告は被告が信じている宗教を信じようとしないものである以上、原告にとつて被告の右の行動は不快であり、被告との同居は精神的に苦痛であることは明らかである。

したがつて原告と被告の婚姻は、被告の右に認定した宗教活動によつて継続しがたい程度に破綻しているものといわなければならない。

よつて原告と被告の婚姻はこれを継続しがたい重大な事由があるから、原告の本訴請求中離婚を求める部分は正当として認容すべきである。

また右に認定した事実関係のもとでは、原告と被告間の子太郎の親権者は原告と定めるのが相当である。

よつて民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。 (高橋爽一郎)

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